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日本二十六聖人記念館

長崎駅の近く、西坂の丘はかつては処刑場があった場所。

二十六聖人の殉教もこの丘が舞台となった。

現在は聖フィリポ教会、日本二十六聖人記念館、西坂公園などがある。

 

聖フィリポ教会と二十六聖人記念館は

列聖100周年の1962年に、今井兼次の設計で建てられ、

記念館の前には彫刻家舟越保武による記念碑が立っている。

ちなみに舟越保武は日本二十六聖人の祝日である2月5日に亡くなっている。

 

聖フィリポ教会はメキシコ人殉教者フェリペ・デ・ヘスス(聖フィリポ)に捧げられた教会。

2014年の春に、教会の下にあるカフェ・オン・ザ・ルートで、

現在記念館の館長をされているデ・ルカ・レンゾ神父をかこんでお話を聴く

「教会建築と珈琲とマフィン」というイベントがあったんだけど、

聖フィリポはメキシコ初の殉教者ということで、

建設にあたってはメキシコからの寄付がかなりあったという話をされていた。

 

現在の記念館館長レンゾ神父はアルゼンチンの出身。

先代館長は結城了悟さんといって、スペイン出身で日本に帰化された方。

たまに駅前などでお見かけしてたけど、2008年に長崎で亡くなられた。

 

記念館の展示物は、二十六聖人に関する資料だけでなく、

ザビエルの書状や殉教者の聖遺物、潜伏期の史料など見応え十分。

特に17世紀初めに長崎の南蛮絵師が描いたと思われる「雪のサンタマリア」は必見。

先日(2014年12月)には、漫画家の井上雄彦さんが、

長崎県美術館での「ガウディ×井上雄彦」展のため長崎に来られ、

二日連続でこの記念館を訪れたとか。

井上さん、キリシタン関係の作品とか書いてくれないかなあ。

 

26人は京都・大坂で捕縛され、市中を引き回された後、徒歩で長崎まで連れて行かれ、

1597年2月5日(慶長元年12月19日)、この西坂の地で処刑された。

1862年にはローマ教皇ピウス9世によって列聖。聖人となった。

 

二十六聖人の氏名などは以下の通り。

(名前の表記は記念館のチケットに記載されている通り。備考はWikipediaの記事から)

1. 聖フランシスコ(フランシスコ吉)

日本人。伊勢の大工。フランシスコ会員の世話をするため

一行に付き添い、道中で捕縛。

 

2. 聖コスメ竹屋

日本人、38歳。大坂で捕縛。

 

3. 聖ペトロ助四郎

日本人、イエズス会員の世話をするため

一行に付き添い、道中で捕縛された。

 

4. 聖ミカエル小崎

日本人、46歳。京都で捕縛。トマス小崎の父。

 

5. 聖ディエゴ喜斎

日本人、64歳。大坂で捕縛。イエズス会員。

 

6. 聖パウロ三木

日本人、33歳。大坂で捕縛。イエズス会員。

 

7. 聖パウロ茨木

日本人、54歳。京都で捕縛。レオ烏丸の兄。

 

8. 聖ヨハネ五島

日本人、19歳。大坂で捕縛、イエズス会員。

 

9. 聖ルドビコ茨木

日本人、12歳で最年少。京都で捕縛。

パウロ茨木、レオ烏丸の甥。

 

10. 聖アントニオ

日本人、13歳。京都で捕縛。父は中国人、母は日本人。

 

11. 聖ペトロ・バプチスタ(ペトロ・バウチスタ)

スペイン人、48歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。

 

12. 聖マルチノ・デ・ラ・アセンシオン

スペイン人、30歳。大坂で捕縛。フランシスコ会司祭。

 

13. 聖フィリッポ・デ・イエズス(フィリッポ・デ・ヘスス)

メキシコ人、24歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。

14. 聖ゴンザロ・ガルシア

ポルトガル人、40歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。

 

15. 聖フランシスコ・ブランコ

スペイン人、28歳。京都で捕縛。フランシスコ会司祭。

 

16. 聖フランシスコ・デ・サン・ミゲル

スペイン人、53歳。京都で捕縛。フランシスコ会修道士。

 

17. 聖マチアス

日本人、京都で捕縛。本来逮捕者のリストになかったが、

洗礼名が同じというだけで捕縛。

 

18. 聖レオ烏丸

日本人、48歳。京都で捕縛。パウロ茨木の弟。ルドビコ茨木のおじ。

 

19. 聖ボナベンツラ

日本人、京都で捕縛。

 

20. 聖トマス小崎

日本人、14歳。大坂で捕縛。ミカエル小崎の子。

 

21. 聖ヨアキム榊原

日本人、40歳。大坂で捕縛。

 

22. 聖フランシスコ医師

日本人、46歳。京都で捕縛。

 

23. 聖トマス談義者

日本人、36歳。京都で捕縛。

 

24. 聖ヨハネ絹屋

日本人、28歳。京都で捕縛。

 

25. 聖ガブリエル

日本人、19歳。京都で捕縛。

 

26. 聖パウロ鈴木

日本人、49歳。京都で捕縛。

最年長は聖ディエゴ喜斎の64歳、最年少は聖ルドビコ茨木の12歳。10代の少年は合わせて5人。

26名のうち日本人が20名、スペイン人が4名、ポルトガル人1名、メキシコ人1名。

日本人以外の6名はみなフランシスコ会の司祭や修道士だけど、

その理由は以下のようなことと考えられている。

 

すなわち、1587年(天正15年)にすでにバテレン追放令を出していた豊臣秀吉は、

1596年のサン=フェリペ号事件を受けてさらに禁教令を公布。

これを受けてイエズス会は都周辺での活動を自粛していたのだけど、

遅れて日本にやってきたフランシスコ会やアウグスティノ会は情勢を無視して活動を続けた。

そのことが秀吉の目に付き、石田三成にフランシスコ会員の逮捕を命じるきっかけとなった。

三成はパウロ三木などイエズス会員は除外しようとしたがうまく行かず、

複数のイエズス会員も処刑されることとなってしまった。

 

26聖人が列聖された1862年は日本では幕末にあたる。

アメリカ、オランダ、ロシア、イギリスなどと和親条約が結ばれ、

1858年(安政5年)に締結された日米修好通商条約の第8条では、

日本におけるアメリカ人の宗教の自由、居留地内の教会建設の許可、

長崎での踏み絵の廃止などが決定されている。

殉教からは250年以上経っており、そんな時代の流れの中での列聖というのは、

日本での再布教を目指すカトリックから圧力をかけるための一手でもあったのかもしれない。

[アクセス]

JR長崎駅から徒歩5分。NHK長崎放送局の横の急な坂を上った丘の上。

駅前の高架広場から左手に見えるNHKの電波塔を目印に。

 

[リンク]

日本二十六聖人記念館:上の方の日の丸マークをクリック。

カフェ・オン・ザ・ルート:教会の下にあるすてきなカフェ。レンタサイクルも。

 

 

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