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キリシタン関連史跡、資料館

島根県鹿足郡津和野町

明治初めに明治政府によって長崎浦上村から追放されたキリシタンが収容された場所。現在は小さな聖堂が建てられている。

 

長崎市戸町

大胆にも長崎奉行所の馬丁となって密かに牢の信者や宣教師たちと接触していた金鍔次兵衛が隠れていた場所と言われている。

諫早市多良見町山川内

多良見町伊木力にあるこの石碑は、天正遣欧少年使節としてヨーロッパに渡って戻ってきた四人の少年のうち、帰国後に一人だけ棄教した千々石ミゲルの墓と見られている。

長崎県大村市

大村市にあるキリシタン関連史跡を巡ってきた。ほとんどは「郡崩れ」にともなう殉教にまつわる史跡。

長崎市 淵神社

長崎市、稲佐山の麓にある淵神社の境内、本殿左手にひっそりとある小さな社。大友宗麟の孫娘である桑姫(洗礼名はマキシマ)が祀られたキリシタン神社。

長崎市多以良町

2011年12月末に発見された大規模な墓碑群。鍋島藩の飛び地で、17世紀後半に作られたと見られている。

平戸市生月島

カクレキリシタンの独特な信仰を育んできた生月島。だんじく様、ガスパル様、中江ノ島などの史跡がある。

長崎市下黒崎町

江戸時代初期の外国人宣教師サンジワン様を祀った、非常に珍しいキリシタン神社。

五島市香珠子

福江島南東部、ビーチや物産館がある同じ敷地内に建てられた教会風のミュージアム。

 

西海市中浦

天正遣欧少年使節の一人で、2008年に福者となった中浦ジュリアンの出身地に作られた記念公園。

平戸市生月町

1645年、平戸藩の切支丹取り締まりを逃れて、3人の家族が隠れた場所。海上から発見され処刑されたことから、今でも海上からここに行くことは禁忌となっている。

大村市今富町、東彼杵郡東彼杵町

大村市にあるキリシタン墓碑(1587年)と東彼杵町にある花十字紋の刻まれたキリシタン墓碑(1622年)。

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長崎市本河内

長崎市本河内に修道院を設立したコルベ神父の記念館。同じ敷地に本河内カトリック教会、聖母の騎士修道院などがある。

 

西海市西彼町平原郷

松浦氏の家臣、相川勘解由左衛門尉藤原義武の墓碑と言われている。花クルス紋と「I.N.R.I」のアルファベットが刻まれている。

平戸市根獅子

平戸市中部、かくれキリシタンの里と呼ばれる根獅子にある資料館。周囲には「うしわきの森」「おろくにん様」「昇天石」など、殉教にまつわる史跡がある。

長崎市中心部

16世紀後半から17世紀初めに作られたが、禁教令とともに破壊されてしまった長崎市内の教会群。

諫早市天佑寺

諫早、天佑寺の境内に建てられた石碑。ここでの「戦没者」とは、島原の乱鎮圧に駆り出されて犠牲となった諫早の人々のこと。1672年(寛文12年)の建立。

新上五島町若松島

若松島南端の断崖にある洞窟。明治初めの「五島崩れ」の際に迫害を逃れた島のキリシタンが隠れ住んだ所。

長崎市橋口町

江戸時代初期、この地で殉教した三人家族(ジワンノ、ジワンナ、ミギル)のために建てられた石碑。

長崎市西出津町

外海・出津教会の近くにあるカトリックの墓地。ド・ロ神父もこの墓地に眠っている。

西海市大瀬戸町多以良内郷

多以良領主の小佐々純俊と、中浦領主の小佐々純吉(中浦ジュリアンの父親)のために建立された墓所。大小二基のキリシタン墓碑がある。

鷹ノ巣のキリシタン殉教碑

新上五島町鯛ノ浦

1870年(明治3年)、有川の郷士4人によって斬殺された6人のキリシタンのために建てられた石碑。

天草市有明町

天草上島の国道沿い、海辺にある資料館。マリア観音を初め、カクレキリシタンにまつわる資料が豊富に展示されています。

 

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