舟越保武の世界
2014年6月、岩手に行ってきた。東北に行ったのは生まれて初めて。
東北に行くなら会津か盛岡のどちらかに行きたいと思っていたんだけど、
結局盛岡を選んだのは、大好きな彫刻家舟越保武の作品がたくさんあるから。
今では息子の舟越桂さんの方が有名かもしれないけど、
桂さんの作品にも確実に影響を与えているであろう美しい作品がたくさんある。
旅の下調べをしていたら、岩手県立美術館だけでなく、
盛岡周辺のいろんなところに舟越さんの作品が点在していることがわかった。
2泊3日の短い日程だったけど、行ける所はほぼすべて足を運んできた。
岩手県立美術館には舟越作品の展示室があって、なんと写真撮影も可能!
ここぞとばかりにたくさん撮ってきました。
一関市には「大籠キリシタン殉教公園」という場所があって、
そこにも作品があるらしいんだけど、さすがにそこまで行く時間はなかった。
でも東北にはぜひまた行きたいのでここは次回の楽しみに!
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常設展を目当てに行ったら企画展は植田正治だったのでものすごくうれしかった。


舟越保武という名前は、二十六聖人記念碑の作者としていちおう昔から知ってはいた。
でも本格的に興味を持つようになったきっかけは
2008年に長崎県美術館で開かれた「舟越保武展ーかたちに込める祈り」という企画展。
長崎のキリシタン文化に関心を持つようになって教会や史跡巡りもすでに始めていた時に、
カトリックの人物をモデルにした作品を数多く作っている舟越さんの作品に出会えたというのは
本当にいいタイミングだったと思う。
高村光太郎との交流や、ちょうどその少し前に遠藤周作の小説(『王国への道』)で知った
ペトロ岐部の像を作っていたという偶然にも驚いた。
舟越さんは彫刻作品だけでなく文章もすばらしくて、日本エッセイスト・クラブ賞も受賞している。
彼の文章に初めて触れたのも長崎県美術館での企画展で、
エッセイからの引用をパネルにしたものが多数展示されていた。
断片的な引用だけれど、彫刻作品と同様、洗練された飾り気のない文章がとても美しかった。
この企画展では展示室に入ってすぐのところに「萩原朔太郎像」が展示されていた。
萩原朔太郎は昔から愛読していたので、この二人がつながったことはうれしかったのだけど、
その一方でこのつながりはなんとなく意外だった。
しかし、後日、舟越さんの随筆集『巨岩と花びら』に収録された
「聖女クララのデッサン」という一篇を読んでこのつながりに納得がいった。
それは舟越さんがアッシジの聖フランチェスコ聖堂を訪れたときのこと。
聖堂を出ようとすると突然どしゃ降りになり、
回廊の下で雨宿りをしていると一人の若い修道女が同じく駆け込んできた。
舟越さんはその人の美しさに「その横顔を記憶しておこう」と思い、
その記憶が数年後に聖クララのデッサンとなった(「聖クララ」:岩手県立美術館所蔵)。
しかし、いっしょに雨宿りしていた奥さんは「あの時、そんな人はいなかった」と言う。
あんなにもしっかり見て記憶に留め、作品にまでしたというのに。
そしてこの一篇はこんな文章で締めくくられる。
私のすぐそばに立っていたその人の、ヴェールの下の額から鼻すじ、口から顎の線を私の瞼に刻み込もうとした。瞬時にせよ、眼をこらしてその光る線を確かめたのだから、その人が実際にあそこにいたことは間違いない。
妻は私の幻想だと言うが、そんなことはない。
ただ、なぜ、私はその人の立ち去るときの後姿を見ていないのだろうか。小砂利を踏んで立ち去って行く足音も、聞いていない。
(『舟越保武全随筆集 巨岩と花びら ほか』 求龍堂 27ページ)
この文章を読んだ時、萩原朔太郎『猫町』の最後の文章が頭に浮かんだ。
猫しか住んでいない町に迷い込んでしまった男の物語だ。
人は私の物語を冷笑して、詩人の病的な錯覚であり、愚にもつかない妄想の幻影だと言う。だが私は、たしかに猫ばかりの住んでる町、猫が人間の姿をして、街路に群集している町を見たのである。理屈や議論はどうにもあれ、宇宙のあるどこかで、私がそれを「見た」ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない。
(萩原 朔太郎 『猫町』 パロル舎 82ページ)
他人が何を言おうと「見た」ものは「見た」のだ。同じ本で朔太郎はこんなことも書いている。
ホレーシオが言うように、理知は何事をも知りはしない。理知はすべてを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。
(同上42ページ)
アッシジで舟越さんが見た修道女も「詩人の直覚する超常識の宇宙」の一部だったのかもしれない。
萩原朔太郎と舟越保武が頭の中でカチッと音を立ててつながった。