top of page

平戸市切支丹資料館、うしわきの森

平戸島中部、外洋に面した入り江の周辺の根獅子(ねしこ)という集落。

ここは「かくれキリシタンの里」とも呼ばれているそうで、かくれキリシタンにまつわる史跡群と資料館がある。

潜伏時代の信仰形態は1992年(平成4年)まで続いていたらしい。

 

資料館はそれほど大きくはないけれど、かくれキリシタンの祭具やメダリオンなど見応えはじゅうぶん。

たしか生月の「島の館」に書いてあったと思うけど、キリシタン遺物の中には、

外国人などに土産物として売るために作られた偽物もあるそうで、

この資料館の展示物の中にも、本物の遺物かまだわからないものがあるらしい。

そういう紛い物がどれくらい残っているのかはわからないけど、

それはそれで、商魂のたくましさとか着眼点とか、ちょっと興味深い。

 

周辺には主に殉教にまつわる史跡がいくつか点在している。

資料館の建物の横には森があり、その入り口にうしわきの森、おろくにん様という石碑が立っている。

「うしわきの森」というのは、大石脇という地名が転訛したもの。

イエズス会士が"Vuyxyuaqui"「ウイシワキ」と記した通信文もあるとか。

 

「おろくにん様」については、いくつか説があるようで、

資料館のホームページによると、根獅子の浜で処刑された一家6人を指すとある。

一方、長崎市にあるコルベ館の小崎登明修道士の『西九州キリシタンの旅』には、

地元の住職がキリスト教に改宗して布教に取り組んだことが領主の怒りを買い、

1564年(永禄7年)に処刑され、後に「お祿人様」として祀られるようになったという説(205ページ)と、

また地元の住職から聞いた話として、「お祿人」とは殿様に使えて祿高をもらっていた人のことで、

「うしやきトマ様」という呼び名もあるという記述もある(221ページ)。

キリスト教に改宗した僧侶がいたのは確からしく、カトリック長崎大司教区監修の『ザビエルと歩くながさき巡礼』には、

もと僧侶だったトメーという人物が根獅子の教会を管理していたという記述や

1567年(永禄10年)、キリシタンのトメーが仏教徒の領主に逆らって根獅子浜で処刑されたという記述もある。

1635年(寛永12年)には70人以上のキリシタンが処刑されるという出来事もあったらしい。

谷真介『キリシタン伝説百話』には、一家6人が処刑された話と、一人が処刑された話と、

どちらもおろくにん様の伝説として掲載されているので、どうやらどちらも「おろくにん様」ということのようだ。

 

この根獅子で処刑の場となったのが、現在もとても美しい根獅子の浜。

その浜にある石は昇天石と呼ばれており、地元の人はこの浜を必ず裸足で歩いたらしい。

 

【アクセス】

平戸市中心部、紐差方面から行く場合は、国道383号線を西に走り、紐差教会、平戸市民病院を過ぎて少し行ったあたりを右折。根獅子小学校の前を通り過ぎてから県道19号線を右折。海辺に出るとすぐ右手に看板があります。

生月方面から来る場合は、生月大橋の近くから県道19号線を走り、春日、獅子などの地区を抜け根獅子の浜が見えてきたら左手に看板が見つかります。

公共交通機関を使う場合は、バスで紐差あたりまで来てそこからはタクシーで移動するしかないようです。

 

【リンク】

平戸市切支丹資料館公式サイト

 

【本】

・小崎 登明 『西九州キリシタンの旅』(Amazon

・カトリック長崎大司教区監修『ザビエルと歩くながさき巡礼』(Amazon

・谷 真介 『キリシタン伝説百話』

 

 

© 2014 by Satoshi Nonomura. Created with Wix.com

bottom of page