top of page

生月のキリシタン史跡(だんじく様、ガスパル様)

生月町博物館 島の館、中江ノ島

日本本土から橋でつながっていて車などで行ける中で最も西に位置するのが平戸島。

生月島はその北西部にある南北に細長い島で、平戸から生月大橋を渡って車で行くことができる。

 

まずは平戸の中心部から南西方向にある川内峠を目指した。この峠の駐車場には、

なぜかヨゼフ里脇浅次郎枢機卿(1904-1996)の名前の入った石碑が建っている。

「義人の魂は神の御手にあり、いかなる責め苦も彼等に触れることはできない(知恵の書3・2)」

という碑文からして、平戸や生月の殉教者のために建てられたものなんだろうか。

この峠からは北西方向には、生月カクレキリシタンの聖地、中江ノ島も見ることができる。

生月カクレキリシタンが洗礼に使う水を取る「お水取り」が行われる場所で、

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ(「平戸の聖地と集落」)にもなっている。

 

峠を越えて県道19号線を道なりに進んで行くと、さらに近くから中江ノ島を見ることができる。

ここまで来ると生月大橋はすぐ近く。橋を渡るとすぐ左手に道の駅があり、

その少し裏手に生月町博物館 島の館がある。2階にキリシタン関連の資料があり、

カクレキリシタンの聖具や納戸神などかなり見応えがある。

1階には少し前にバチカンの音楽ミサで「オラショ」などの指揮者をつとめた

西本智美さんのサインも飾られていた(西本さんはひいおばあさんが生月の出身らしい)。

 

島の館を出て、島の南側の道路を西に向かって少し走ると、だんじく様の案内表示がある。

だんじく様というのは、1645年頃、弥市兵衛と妻マリア、その子ジュアンが

平戸藩のキリシタン取り締まりを逃れて、この海辺の竹やぶ(暖竹→だんじく)に隠れていたが、

海上からの捜索によって発見されてしまい殉教した場所。

それゆえこの場所には海側から行ってはいけないと言われている。

 

島の館の方から進んで行くと、道路左手に案内表示があり、

左折して細い道を入って行くと行き止まりのところに説明板があり、

そこから林の中の急な石段をひたすら海辺まで降りて行く。

階段はかなり急で、上から下まで高低差もあるなかなかハードな道のり。

夏にここに行くのはちょっと厳しいかも。

川内峠

川内峠

平戸市中心部から川内峠を越えて西へ。標高250m。車のCM撮影にも使われたとか。夏にも来てみたい。

川内峠の石碑

川内峠の石碑

駐車場脇に建っている石碑。『義人の魂は神の御手にあり、いかなる責め苦も彼等に触れることはできない(知恵の書3・2)』長崎大司教 里脇枢機卿

川内峠から中江ノ島

川内峠から中江ノ島

生月カクレキリシタンの殉教地であり聖地。洗礼に使う「お水」はこの島から取る。

中江ノ島

中江ノ島

峠を下って、生月大橋近くから撮影。

生月大橋

生月大橋

生月側から。

生月町博物館 島の館

生月町博物館 島の館

2階のカクレキリシタン史料がとても充実している。

田北耕也歌碑

田北耕也歌碑

キリシタン研究の第一人者、田北耕也先生の歌碑。

ステンドグラス

ステンドグラス

島の館内部のステンドグラス

ステンドグラス

ステンドグラス

島の館の近くにステンドグラスの工房があったけど、そこで作られたものなのだろうか。

だんじく様入り口

だんじく様入り口

ここに少しスペースがあるので車を置かせてもらいました。

説明板

説明板

階段

階段

いちおう手すりはついてるけど、すさまじい下り。ひたすら海辺まで下ります。帰りは地獄でした…。

海辺

海辺

ほんとに海のすぐそばです。

だんじく様

だんじく様

だんじくというのは「暖竹」という竹のことだそうで、枯れて折れた竹が散らばってた。ちょっと片付けたけど、またすぐ散らかりそう。

だんじく様前の海

だんじく様前の海

波で転がる石がぶつかり合う音がとても心地よかった。

黒瀬の辻

黒瀬の辻

黒瀬の辻

黒瀬の辻

ガスパル様説明板

ガスパル様説明板

ガスパル様

ガスパル様

再び道の駅の方、生月大橋から島の東側を北に伸びる県道42号線に戻り、

今度は黒瀬の辻ガスパル様を目指す。

舘浦の町を抜けて北へ、道なりにしばらく走っていくと右手に大きな十字架が見える。

「ガスパル様」の表示も出ているので、そこで右折。細い道を奥まで入って行くと駐車場がある。

 

戦国時代、生月は松浦氏の支配下にあり、

南部の舘浦は籠手田安経(ジェロニモ)

北部の壱部は弟の一部勘解由(ジョアン)の領地だった。

この二人は早い時期に洗礼を受けており、

1558年にガスパル・ヴィレラがやってくると領民の多くも洗礼を受けた。

その中心となった場所が黒瀬の辻で、この地名はクルスから来ているらしい。

 

生月の奉行をつとめていた西家もキリシタンとなり、

西内記(後に西玄可)も二歳で洗礼を受けガスパルの名をもらった。

その後バテレン追放令が出て弾圧が始まると、

籠手田、一部の領主たちは領民を連れて長崎へ移住。

ガスパル西玄可は島に残ったが1609年に黒瀬の辻で処刑され、

殉教者ガスパル様としてこの地に祀られた。

 

島にいなかったため処刑を免れたガスパル西の次男・トマス西六左衛門は、

有馬のセミナリヨで学び、さらにマニラに渡って、1626年ドミニコ会初の日本人司祭に叙階された。

禁教下の日本に戻って長崎、広島、大坂などで活動したが、1634年長崎西坂で殉教した。

1987年にバチカンで、長崎で殉教したほかの15人とともに列聖。聖トマス西となった。

ちなみに長崎駅前にある中町教会は、この聖トマス西と15聖人に捧げられている。

 

生月には、だんじく様、ガスパル様以外にも、

サン・パブローの森(幸四郎様)、焼山、千人塚などのキリシタン関連史跡がある。

 

[リンク]

生月町博物館 島の館公式サイト

ガラス工房 ルナ・イエナ(LUNA LLENA)

生月学習講座(平戸市振興公社)

聖トマス西と15殉教者(カトリック中央協議会)

 

本]

・谷 真介 『キリシタン伝説百話』

・宮崎 賢太郎 『カクレキリシタン オラショ〜魂の通奏低音』

・小崎 登明 『西九州キリシタンの旅』(Amazon

© 2014 by Satoshi Nonomura. Created with Wix.com

bottom of page