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神の島教会

細長い長崎港の西側の入り口に位置する神の島。

現在では陸続きになっているが、名前の通りもともとは小さな島だった。

少し前までは船で行き来していたとか。

 

長崎中心部から近いけれどキリシタンが潜伏していたところで、

「信徒発見」のすぐ後に神の島の信徒が大浦天主堂に駆けつけており、

プティジャン神父を出津や黒崎などに船で案内し、

布教の手助けをした西政吉・忠吉は、教会堂の横に埋葬されている。

 

神の島にはまず1876年(明治9年)に仮の聖堂が建てられ、

その後、現在の教会が1897年(明治30年)に建設された。

 

内田洋一『風の天主堂』によると、

建築にあたったのは川原忠蔵という棟梁らしい。

川原一族は、忠蔵の父である久米吉、兄の弥三郎、

そして忠蔵の息子の正治、伝次郎の三代にわたって、

長崎の教会建築に携わっている。

仏教徒だった鉄川与助とは異なり、彼らはカトリック信徒で、

この川原一族が関わった教会は、大浦、出津、黒崎、大野、

黒島、神の島、中町、山野(平戸)、江袋(五島)、津和野など、極めて多い。

 

教会前の海には、高鉾島というこんもりした島が見える。

ここは元和3年(1617年)に、

ガスパル上田彦次郎とアンドレア吉田の二人が

神父を匿った罪で捕らえられて殉教した島。

神の島教会にはこの二人のための「殉教者顕彰碑」もある。

 

また教会下の海辺には、大きな岩があり、

その上に高さ4.6mのマリア像が立っている。

ここにはもともと昭和24年にマリア像が建てられていたが、

傷んでしまったため、昭和59年に新たな像が建てられた。

この同じ岩の上にはえびす様の祠もあるため、

登り口には純白の鳥居が建てられている。

鳥居をくぐった先に十字架があり、

えびすさんとマリア様が共存しているというのが、

なんとも長崎らしくて良い。

 

神の島教会は、他の有名な教会を抑えて、上記の『風の天主堂』や、

別冊太陽の『日本の教会をたずねて』の表紙に使われているけれど、

実際に足を運んでみるとその理由がよくわかる気がする。

海辺の小高い所にある真っ白な教会と真っ白な聖母像は、

特に天気が良い日は海と空の青に挟まれてとても美しい。

周辺ものどかで、長崎市中心部からバス一本で行けるので、

休みの日などふらっと足を運びたくなるお気に入りの場所です。

 

[アクセス]

長崎バス「神の島教会下」行きで、長崎駅から約30分。

 

[本]

・内田 洋一 『風の天主堂』

・小崎 登明 『長崎オラショの旅』

・『別冊太陽 日本の教会をたずねて』

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