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金鍔谷

2008年、長崎で開かれた列福式でペトロ岐部らとともに

福者となった殉教者の中に金鍔次兵衛(1600-1637)という人物がいる。

次兵衛は大村でキリシタンの両親の下に生まれた。

司祭を志して有馬のセミナリヨで学んだが、禁教令に伴いマカオに追放されてしまう。

マカオの神学校でも勉強を続け、さらにフィリピン・マニラの

聖アウグスチノ修道会で修道士となった(修道名はトマス・サン・アウグスティノ)。

 

1631年、日本に帰国。長崎奉行所の馬丁となって

牢に捕われた信者や宣教師を励まし、夜も信者たちのところをまわった。

1634年には奉行所に正体がばれるが、逃走。

長崎で潜伏生活を続けたが、1636年に捕縛。翌年、西坂で殉教した。

 

今回訪れた金鍔谷は、次兵衛が隠れ住んだと言われている場所の一つ。

現在は長崎四国八十八ヶ所霊場となっていて、

次兵衛に関連した何かがあるわけではないけれど、

身を隠していたと言われる洞穴が残っている。

 

次兵衛の潜伏場所としては、外海・神浦に次兵衛岩という場所もあるんだけど、

こちらは山道を二時間ぐらい歩くそうなのでまだ行ってない。でもそのうち行ってきます。

 

ちなみに西坂の日本二十六聖人記念館の中庭に金鍔次兵衛の像があります。

記念館の二階の扉から出たところです。

 

[アクセス]

新地バスターミナルなどから、南部方面(香焼、深堀など)に向かう長崎バス(戸町経由)に乗って、15分ほどの「金鍔」停留所で下車。

バス停から少し先に行くと右手にバイク屋、左手に木工所があり、木工所の手前の階段を少し上ったところにある。

洞穴のところに上って中に入ることもできるけど、階段が危ないので、脇の鎖をつかみながら上り下りしてください。

 

[本]

・水浦 久之 『金鍔次兵衛物語』

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