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乙女峠マリア聖堂

津和野は昔からとても好きな町で、

島根の祖父の家に行く途中にあるということもあって何度も行っている。

参道に赤い鳥居が連なる太皷谷稲成神社や、

尖塔と落ち着いた色合いが美しい津和野カトリック教会。

安野光雅美術館、さらに森鴎外や西周の旧宅もある。

山口からはSLやまぐち号も走っている。

 

そんな風光明媚で美しい津和野だけど悲しい過去もある。

江戸末期に長崎浦上村に多数のキリシタンがいることが発覚し弾圧を受けた

いわゆる「浦上四番崩れ」で、流刑地の一つとなったのがこの津和野だった。

この事件で、江戸幕府の禁教政策を受け継いだ明治政府によって、

浦上村の指導者は処刑、全村民3394人が、

鹿児島、萩、名古屋、金沢など全国各地に流刑となった。

そのうち津和野に配流となった153人が幽閉されたのが

この乙女峠にあった光琳寺で、拷問によって36人が殉教した。

 

1951年、津和野カトリック教会に赴任していた

パウロ・ネーベル神父(ドイツ人。後に日本に帰化。日本名は岡崎祐次郎)によって
この悲劇の現場となった地には小さな聖堂が建てられ、

毎年5月3日の乙女峠まつりでミサが捧げられている。

[アクセス]

JR山口線、津和野駅の裏手。徒歩で15分ほど。

 

[リンク]

津和野カトリック教会

浦上小教区沿革史

 

[本]

・沖本 常吉 『乙女峠とキリシタン』

・永井 隆 『乙女峠 津和野の殉教者物語』

・片岡 弥吉 『浦上四番崩れ』

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