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多以良の潜伏キリシタン墓地
長崎市北部で2011年12月に発見された潜伏キリシタンの墓地。
大雑把に見ればこのあたりも
カクレキリシタンが多かった外海地区に入るのかもしれないけど、
角力灘に面した黒崎や出津にくらべるとだいぶ中央に近いから、
こんな場所にこんなに大規模な墓地が
破壊されることなく残っていたというのは驚き。
この周辺は基本的に大村藩の領地なんだけど、
この墓地のある地区だけは佐賀藩深堀領の飛び地だったらしい。
大村家は戦国時代の大村純忠が
日本最初のキリシタン大名として知られているけれど、
その嫡男で大村藩初代の大村喜前(よしあき)は
1602年(慶長7年)に棄教するとその後キリシタンの弾圧を始めている。
それでも、それから50年以上経った1657年(明暦3年)に、
大村で多数のキリシタンの存在が発覚する「郡崩れ」という事件が起きていたりもしている。
この墓地は17世紀半ば頃のものと見られているらしいけど、
佐賀藩深堀領は大村藩ほど弾圧が厳しくなかったからこうして墓が作られ、
破壊されることなく残ったということなのだろうか。
いずれにしても、いまでもこんな大規模な墓地が発見されるということは、
他にもまだいろいろ見つかる可能性があるということ。わくわくします。
※2015年1月12日追記
ケーブルテレビで「果てしない祈り」という番組を見ました(再放送だったようですが)。
番組後半でこの墓地のことが出てきて、やはりここが大村藩ではなく
鍋島の領地だったから残ったんじゃないかとのことでした。

多以良の潜伏キリシタン墓地

多以良の潜伏キリシタン墓地

多以良の潜伏キリシタン墓地

供えられた小さな聖母子像
[アクセス]
畝刈から滑石方面に向かう県道28号線に乗り、
左手のガソリンスタンドを過ぎてすぐの
細い階段を上がった先(マップで表示されている家の裏手)
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