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雲仙カトリック教会

1981年(昭和56年)、教皇ヨハネ・パウロ二世の来崎と

長崎大司教ヨゼフ里脇枢機卿司教祝聖銀祝を記念して祝別・献堂された。

この教会は雲仙で殉教し、後に福者となったアントニオ石田など
雲仙の殉教者たちに捧げられている。

 

アントニオ石田は島原の生まれ。

天草のコレジヨで、そしてさらにマカオでも学んだ人で、

帰国後は司祭として中国地方で布教活動を行った。

雲仙地獄で何度も拷問を受けたが信仰を棄てず、

最後は1632年に長崎の西坂で処刑されている。

1867年には福者に列せられた。

 

雲仙は1627年から1632年にかけて多くのキリシタンが殉教した場所。

拷問を耐えきって西坂で処刑された司祭もおり、

彼らは1867年に教皇ピオ10世によって福者にあげられた(205福者殉教者)。

また、2008年にペトロ岐部とともに福者となった187名の中にも、

雲仙での殉教者が多く含まれている。

 

雲仙教会から、ホテルなどが立ち並ぶ雲仙の中心地に向かうと、

お糸地獄の近くにキリシタン殉教記念碑と大きな十字架が建てられている。

 

[アクセス]

雲仙教会は、ホテルや温泉、雲仙地獄などのある中心地から少し外れたところにあります。その辺りからなら車で10分もかからずに行くことができます。

長崎市などから行く場合は、小浜から国道57号線を上っていくルートが一番わかりやすいと思います。千々石や国見町から上がっていくルートもあります。いずれにせよ雲仙を目指して行ってください。

 

「キリシタン殉教記念碑」は、雲仙地獄の中のお糸地獄の近くにあります。

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