
善長谷カトリック教会
深堀の山の上にあるかわいらしい教会。
現在の聖堂は昭和27年の建立。
教会の裏手には森に囲まれたルルドもある。
教会にある説明板によると1804年に6家族、
一方こちらのページによると1823年に7戸となっているけど、
いずれにせよ19世紀の前半に外海の方から
かくれキリシタンの数家族が移り住んだのが始まりらしい。
明治になって信仰の自由が認められようになると、
大部分はカトリックに改宗したが、
一部は改宗を拒んで蚊焼の方に移ったという。
この教会の存在を知ったのは数年前のことだけど、
「善長谷」という変わった地名を見た時、
キリシタン関係の史料や小説によく出てくる
キリシタン用語「ゼンチョ」と関係があるんじゃないかと思った。
そして実際教会に行ってみるとやはり説明板に
地名の由来として「ゼンチョ説」が挙げられていた。
またそれ以外に、かつてこの辺りの菩提寺の僧が
修行の末に悟りの境地に至ったことから、
「禅定」 → 「善長」となったという説もあるらしい。
「ゼンチョ説」の問題点は、
「ゼンチョ」という言葉が「異教徒」を意味するということ。
つまり、キリスト教徒の視点から見ての異教徒なので、
日本の場合はおそらく仏教徒のことになる。
それがキリシタンに関係する土地の地名になるだろうかという疑問が生じる。
でも、ここに移り住んだかくれキリシタンたちが、
ここは異教徒=ゼンチョたちの住む谷だということで
ゼンチョ谷と呼んでいるうちにそれが定着して
善長谷という地名になったという可能性もある。
江戸時代初期の長崎を舞台にした飯嶋和一の歴史小説『黄金旅風』などを読むと、
長崎市内では現在の夫婦川町にある丘が、
現在はどうなのかわからないけど「唐土山」と呼ばれていたらしい。
これは16世紀後半、麓に長崎最初の教会である
「トードス・オス・サントス教会」があったことに由来している
(破壊された後には春徳寺というお寺が建てられている)。
また、遠藤周作の遺稿『無鹿』によると、現在も宮崎の延岡にある「無鹿」という地名は
大友宗麟の時代にラテン語で「音楽」を意味するmusicaから付けられたらしい。
「善長谷」という地名もこれらと同様に外来語由来の地名だったらおもしろい。



今でもミサなどを知らせるのに使われている。


教会左手の階段を上って行くとルルドの表示が。



正面は高島、左の奥に見えるのは軍艦島(端島)

[アクセス]
深堀と蚊焼を結ぶ海沿いの県道224号線から山の方に曲がり、ひたすら上って行くと行き止まりに教会があります。曲がる所には標識も出ています。上り道はかなり狭いです。
[本]
・遠藤 周作 『無鹿』
・飯嶋 和一 『黄金旅風』