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今富のキリシタン墓碑(大村)、東彼杵のキリシタン墓碑

大村湾の東側である大村市今富町と東彼杵瀬戸郷に残された2つのキリシタン墓碑。

 

どちらも大村家が支配した地域にあるのですが、大村領は、コスメ・デ・トーレス神父から洗礼を受けて日本最初のキリシタン大名となった大村純忠(1533-1587)がキリスト教を奨励し、最盛期には信者が6万人を越えたという地域。

 

しかし後を継いだ大村喜前(1569-1616)はバテレン追放令を受けて領内から宣教師を追放し、1602年には棄教。大村では一転して激しいキリシタン弾圧が行われることとなった。取り締まりの強化にともなって墓碑なども徹底的に破壊されました。大村湾を挟んだ西彼杵には墓碑や大規模な墓碑群(多以良の潜伏キリシタン墓地)が残されていたりするのですが、大村藩の中心地に近い東彼杵側にこうして墓碑が残っているというのは珍しく、貴重なものだと思います。

 

今富のキリシタン墓碑には「天正四年」(1576年)という年と、「一瀬治部大輔」という名前が刻まれていて、墓の主はその父で大村純忠の重臣であった一瀬栄正と考えられているとのこと。墓碑の上部に十字紋が刻まれていて、これは本来典型的なキリシタン墓碑のように伏せて置いた場合に正面に来るようになっていたのが、禁教時代になって現在のように立てた状態にし、正面に戒名などを彫って仏式の墓に改造したものと見られているそうです。

 

東彼杵の墓碑の方には、花十字紋と「元和七年」(1621年)という年、「一瀬志ゅ阿ん」という名前が刻まれているそうです。「志ゅ阿ん」はジュアンという洗礼名だと思いますが、姓が今富の墓碑と同じ一瀬ですね。説明板には何も書かれてなかったけど、この両者には血縁関係があったのか、それとも偶然なのでしょうか。

[アクセス]

 

大村市今富町は、大村ICより少し北の、高速道路とJR長崎本線に挟まれた地域。国道34号線の昊天宮あたりに「今富キリシタン墓碑」という表示が出ているのでそこで曲がり、郡川を超えると今富町に入ります。

 

「東彼杵のキリシタン墓碑」は、国道34号線をJR大村線の千綿駅を過ぎてもう少し北へ行った瀬戸郷にあります。米倉庫を改装したカフェSorisso risoのすぐそばの公園に立っています。

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