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カトリック馬渡島教会

佐賀県唐津市の沖には7つの島がある。

 

馬渡島教会はその中でも最も大きな馬渡島(まだらじま)にある教会。馬渡島は人口500人弱(2005年)で、港周辺に神道・仏教徒の集落、北部にカトリック信徒の集落がある。

 

今年の夏、教会巡りとは特に関係なく唐津・呼子への小旅行を計画し、その辺りについていろいろ調べている時、呼子に鉄川与助が建てた教会(呼子カトリック教会)があること、そして唐津沖の松島、馬渡島にも教会があることを知った。

 

松島、馬渡島は呼子港からそれぞれ別に船に乗って行く必要があり、両方とも行くのは時間的に無理だったので、松島にはあらためて行くことにして、今回はとりあえず馬渡島に行くことにした。

 

馬渡島へは呼子港から郵正丸という船が出ている。名護屋港に立ち寄って馬渡島まで約30分。たいした距離ではないとはいえ、玄界灘はやはり波があって、特に帰りはかなりの揺れだった。

 

到着した馬渡島の港周辺には宮ノ本という集落があり、交番と酒屋さん、少し上に学校があった。この集落は神道・仏教徒の集落。島の北部の野中集落がカトリック信徒の集落で、そこに教会や修道院がある。バスやタクシーなど交通機関は一切ないので、交番で教えていただいた道を徒歩で進む。

 

野中集落までの行程はほぼ登り道。真夏の蒸し暑い中を30分ほど歩くとようやく集落が見えてきて、最後にカーブを曲がると教会が現れた。白と薄い緑の清潔感ある建物。港周りの集落を後にしてから一軒の家も目にしないまま歩いてきて、突然こういう美しい教会が眼前に現れた時のあの不思議な感覚はうまく言葉にできない。長崎などの教会は僻地にあることが多いんだけど、そういう場所を訪れたとき、とても教会なんてありそうにない場所が延々と続いた後に、立派な教会堂が忽然と現れると、毎回なんとも不思議な感覚に教われる。崎津や黒島や野崎島がそうだったけど、この馬渡島でもやはりそうだった。

この馬渡島教会は、1928年(昭和3年)に平戸の紐差教会を解体して移築したもので、元は1885年頃に建てられた教会建築(そして旧馬渡島教会は呼子に移築された)。移築したということは、つまり馬渡島にはそれ以前から信者がいたということ。

 

内田洋一『風の天主堂』の第7章で馬渡島のことが少し触れられているけど、それによるとこの島にかくれキリシタンが住みついたのは江戸時代中期の寛政年間、もしくは幕末の天保年間と見られ、移住者は主に外海などからやってきた人々だった。

大正から昭和にかけては、多くの人がブラジルに渡り、現地にも馬渡村ができたとも書かれている。戦後、馬渡島教会の神父をつとめた木村義巳神父も、ブラジルに渡った人だったらしい。

 

馬渡島は南部の神道・仏教徒集落と、北部のカトリック信徒集落に分かれていたけど、今回時間の都合で行けなかった松島は、島民のほとんどがカトリック信者で、「ロザリオの島」と呼ばれているらしい。松島の方にも早く行ってみたい。

[アクセス]

呼子港から郵正丸に乗船、名護屋港を経由して約30分。料金は片道860円(料金は船内で)。馬渡島の港から教会まではほぼ上り道で徒歩30分。公共交通機関はありません。港近くに酒屋さんはありますが、飲食店などはありません。

 

[リンク]

馬渡島 日本にはじめて馬がやってきた謎の島

馬渡島教会(カトリック福岡司教区)

 

[本]

・内田 洋一 『風の天主堂』

 

 

 

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