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多以良の小佐々氏墓所

多以良の潜伏キリシタン墓地」のある長崎市内の多以良町ではなく、

こちらは西海市大瀬戸町の多以良という場所です。

川沿いの少し小高くなったところ、こんもりした木々に囲まれた墓所があります。

 

詳しくは写真に載せた説明板にありますが、

この墓所は戦国時代にこの一帯を治めた小佐々氏のもので、

永禄12(1569)年に大村純忠と松浦鎮信の間で戦われた

「葛の峠の合戦」で討ち死にした多以良領主の小佐々純俊と、

その甥で中浦領主の小佐々純吉のために建立された墓所だそうです。

 

中浦というのは、この多以良から少し北の一帯で、

天正遣欧少年使節の一人中浦ジュリアンの出身地です。

(近くには「中浦ジュリアン記念公園」もあります)

 

小佐々純吉は中浦ジュリアンの父親で、

純俊、純吉の二人もキリシタンだったようで、

墓所には大小二基のキリシタン墓碑があります。

墓碑の所には、聖母子像が置かれていました。

多以良・中浦は西彼杵半島の外海側ですが、

内海側にもたとえば「平原キリシタン墓碑」があったり、

半島の中心部には金鍔次兵衛が潜伏した次兵衛岩もあります。

もちろん黒崎、出津などもこの西彼杵半島にあります。

キリシタン大名大村氏の領地だったというのが大きいのでしょうが、

西彼杵半島には人目に触れず残された墓碑や史跡が

きっとまだまだあるんじゃないかと思います。

 

【アクセス】

長崎市から行く場合、国道202号線を北上。雪浦・大瀬戸を過ぎるとトンネルがあり、それを抜けると国道は多以良川を渡り、左手に川が見えるようになります。そのままもう少し進んで再び川を越えるあたりの右手に「小佐々氏墓所 キリシタン墓」の表示板が立っています。

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